幕末ロマンに思いをはせる!長州藩の志士達ゆかりの萩の旅
現在の山口県、長州藩といえば多くの明治維新の志士を輩出した藩として有名です。その中でも吉田松陰が主宰をしていた松下村塾のあった現在の萩市には多くの志士を輩出しています。幕末という激動の時代に日本の将来を憂い、命を懸けて維新を成し遂げた志士たちのゆかりの地を訪ね、当時の志士達に思いをはせる、そんな旅をご紹介いたします。
吉田松陰
幕末の志士たちが師と仰いだ天才
私塾「松下村塾」を主宰し、明治維新で活躍する以下で紹介する多くの志士を育てた。11歳で藩主毛利敬親に兵学を講義した超天才。黒船の来航を目の当たりにし、外国の脅威を感じ、密航を企てたといわれています。その後も日本が欧米列強に侵略されることを危惧し、行動し続けた。安政の大獄により獄中で刑死した。
吉田松陰ゆかりのスポット
松下村塾 山口県萩市おでかけスポット
松陰神社 山口県萩市の神社
高杉晋作
奇兵隊を組織し、長州征伐で活躍した幕末の風雲児
19歳の時、吉田松陰の私塾、「松下村塾」へ入塾しました。その後、下関戦争などを経験し、外国の強さを目の当たりにした晋作は奇兵隊を組織しました。奇兵隊は身分を問わず、有志によって組織された軍隊で、西洋式の戦略と兵器を用いて下関の防御を命じられていました。
第一次長州征伐で長州藩が攻められた後に、挙兵し、幕府軍を次々と打ち負かしていきました。幕府打倒が実現する直前、高杉は病(肺結核)に倒れなくなりました。「面白きこともなき世を面白く」という辞世の句をうたったといわれています。
高杉晋作ゆかりのスポット
高杉晋作誕生地の口コミ・施設詳細 山口県萩市のおでかけスポット
功山寺 高杉晋作ゆかりの寺 下関市長府川端のおでかけスポット
木戸孝允(桂小五郎)
維新の三傑の一人
私塾・松下村塾の門下生ではなかったが、藩校明倫館で山鹿流兵学教授であった吉田松陰に兵学を学んだのをきっかけに関係を続けていたとされています。薩長同盟を締結し、薩長主導による武力倒幕を成し遂げ、新政府を樹立する中心人物となりました。新政府では総裁局顧問、外国事務係、参与など要職を担当し、新しい時代を作り上げていきました。享年45歳、西南戦争の最中に病に倒れました。
木戸孝允ゆかりのスポット
木戸孝允旧宅の口コミ・施設詳細 山口県萩市
伊藤博文
初代内閣総理大臣
17歳で松下村塾に入り、倒幕運動に尽力しました。その後、イギリスへ留学し、英語を学び、見分を広め帰国しました。この経験が後に外国との交渉や新政府での働きに大きく活きることとなります。
高杉晋作と共に、功山寺挙兵し、幕府との戦争に次々と勝利し、新政府を樹立します。そして、数々の要職を歴任後、44歳の若さで初代内閣総理大臣となります。大日本帝国憲法の発布に尽力しました。69歳で伊藤博文は韓国人の活動家安重根に暗殺されました。
伊藤博文ゆかりのスポット
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久坂玄瑞
長州藩における尊王攘夷派の中心人物
15歳にして、母、兄、そして、父を亡くし、天涯孤独の身に。亡き父の跡を継ぎ、藩医となります。18歳で松下村塾の門下生となった。松陰の死後、長州藩のリーダーとして精力的に活動するが、禁門の変にて敗戦し、25歳で自害しました。
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山縣有朋
日本陸軍の基礎を築いた「国軍の父」
久坂玄瑞のすすめで、21歳のとき松下村塾の門下生に。戊辰戦争や、西南戦争などでの功績が認められ、陸軍の頂点に上り詰める。明治維新後は内閣総理大臣を2度務め、大正11年、85歳で亡くなった。
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